【シリーズ・私が駆け出しだったころ】 アパレルメーカー、ナルミヤ・インターナショナル石井稔晃社長

  • 2017年03月01日更新
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
S624x416 narumiya job
アパレル・ファッション業界の経営者に、自身が新人だったころの体験談やその後に大きな影響を与えた出来事を語ってもらいます。今回は、人気子供服ブランドの「メゾピアノ」「ポンポネット」などを全国展開するアパレルメーカー、ナルミヤ・インターナショナルの石井稔晃社長です。

 

ナルミヤ・インターナショナル 石井稔晃社長 ~自らの意思が道を拓く~

 

■異文化に触れた感動と現実

 私は82年にアメリカンカジュアルの専門店企業に入社しました。そのころ、自費の研修でロサンゼルスに行ったことが、ものすごくインパクトあったんです。ロングビーチでサーフィンを楽しむ文化やその自由さに感動し、そうした光景を目にしたことは今も強烈に残っています。現地では「リーバイス」が20ドルほどで販売され、日本では輸入品が1万円近くしていました。私は、高いものを売るというより、毎日がもっと楽しく過ごせたらいい、米国の価格ぐらいで日本でも買えたらいいと思ったものです。

 入社前からバイヤーの仕事に憧れはありましたが、徐々に現実が見えてきました。接客する業態ではないので、毎日朝から晩まで洋服畳みで面白くない。当時POS(販売時点情報管理)は導入されていないし、毎週棚卸しし、売れた分だけ補充する商品を注文していました。こうした肉体作業を繰り返すと、商品の流れは感覚で分かるようになります。ただ、もっと合理的に作業が出来ないかという思いも募ってきて、レジでタグを回収し、メーカーごとに分類して仕入れ先に渡せばいいと提案したことがあります。当時はメーカも在庫をたくさん持っていましたし、売れた品番さえ分かれば、すぐに納品できたのです。

■欧州企業との商品企画も

 店長になってから、品揃えを最初から自分で組んでみたいと意欲も出てきました。当時、仕入れの半分は会社が決めていて、各店ではフォローが中心。それでは、実際の売れ行きに合わせて修正するのが難しかったのです。おりしも、懇意にしていた先輩からバイヤーができると誘いがあり、転職のきっかけとなりました。

 婦人服の専門店でしたが、さっそく展示会に行くようになりました。仕入れるだけでなく、自由に何を作ってもいい。今よりも恵まれた時代だったので、自分たちでもオリジナルを揃えたいと、フランスの工場で作ったボーダーのカットソー、英国のダッフルコートのブランドとのダブルネーム商品などを企画しました。他の産業と異なり、自分で考えた商品を作れてしまう。こんなに面白い仕事はないと感じましたね。

 この業界の魅力は自分の意志を持って経験を積めば、道が開けるということです。店舗運営、仕入れ、商品企画にとどまらず、店の内装や図面の設計まで自ら出来る。現在、私は子供服の会社で社長をやっているのですが、百貨店からECサイトまで全販路を網羅し、ベビーからジュニアまでの成長過程に応じたブランドも揃い、大いに可能性のある環境です。ただ、男性の志望者が少なく、ぜひ来てもらいたいと熱望しています。

(繊研新聞・2016/03/25 日付から)

 

ナルミヤ・インターナショナルの求人情報

【新卒求人】キッズの総合アパレル、ナルミヤ・インターナショナルの正社員(接客・販売)を募集
https://job.senken.co.jp/shinsotsu/jobs/narumiya2017

    関連する記事

    新着の求人最近公開された求人

    話題のキーワードキーワード一覧

    月間ランキング月間アクセスランキング

    週間ランキング週間アクセスランキング