【シリーズ・私が駆け出しだったころ】 ライトオン社長の川﨑純平さん 店長としての経験が今に生きる

  • 2018年10月24日更新
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やってみなきゃわからない

都内の大学に通っていた4年生のころ、アルバイトで勤め始め、02年の大学卒業と同時に入社しました。アパレル志望だったわけではありません。普通の会社で歯車の一部になるのが嫌で、急成長か急降下している企業のどちらかで働きたいと思っていました。当時のライトオンは非常に勢いがあり、地元の茨城・つくばの企業ということもありました。やってみなきゃわからないし、やってみようという気持ちも大きかったです。

入社して1年半が経ったころ、店長に昇格しました。店もどんどん増えており、半人前でも店長という感じでした。店長としては8カ月間ほどしか働けなかったのですが、当時学んだ仕事に対する姿勢は今も糧になっています。

05年ごろに本社に異動してからは、経理の仕事に就きました。伝票をひたすらパソコンに入力するような仕事で、店舗に比べると地味だなと感じることもありました。しかし「こんな機会なかなか無いぞ」と自らを鼓舞し、簿記の資格を取得してみるなど前向きに頑張りました。

誰もが会社は引っ張れる

与えられた環境で最大限の努力をしているうち、どんなポジションでも会社をリードすることができると気付きました。店長時代、日々の売り上げ・利益を意識する習慣が着いていたので、経理の立場でも社内コストの分析・削減に尽力し、成果を出すことができました。

経理との兼任で総務も経験した後、経営企画部長となり、社内の基幹システムを構築するリーダーに任命されました。売り上げ計上や仕入れ計画、商品・在庫管理などの基幹システム構築で社内に前例はなく、遅くまで働くこともあり、正直つらかったです。

しかし、このころも店長のマインドが役に立ちました。店長が折れれば、店も折れる。後ろ向きなら後ろ向きになるんです。約20人ほどのチームだったのですが、システム構築までの約2年半、途中に東日本大震災が起こり、一時中断することもありましたが、明るく前向きに仕事に臨み続けることでチーム一体となり、乗り越えることができました。

自身のキャリアを振り返ると、アパレル業界に飛び込んだ時から、どの立場も知識や技術、経験はゼロでした。その時々でいろいろなことがありましたが、今となっては何とかなるなという気持ちです。社長も未経験でしたが、何とかやれているので。

若いうちで大事なのは、「やりたい気持ち」だと思います。私もそうでしたが、20代前半ではやりたいことが明確にない人の方が多いかもしれません。ぼんやりでもやりたいと思うことがあるならば挑戦するべき。やっているうちに好きになることもあるし、知識や技術は後からついてくる。私もいろんな行動をして、いろんな経験が積めたので、今があると思っています。

(繊研新聞・2018/06/22 日付から)

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