【シリーズ・私が駆け出しだったころ】ネクタイ企画・卸の栄光堂、添田純一社長 「自ら学ぼうとする姿勢が大事」

  • 2018年09月18日更新
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
S624x416 soeda

アパレル・ファッション業界の経営者に、自身が新人だったころの体験談やその後に大きな影響を与えた出来事を語ってもらいます。今回はネクタイ企画・卸の栄光堂、添田純一社長です。

【関連記事】就活ネクタイの選び方でもう悩まない!プロが教える就活で鉄板の色・柄とは

物流センターで基礎 

92年の大学卒業後、レディスアパレルSPA(製造小売業)に入社しました。男子新入社員は約20人全員、物流センターに配属されました。「ものの流れを覚えることが将来、必ず役立つ」という会社の考えがあったからです。私は川崎の物流センターで、段ボール箱を担いだり、ピッキングや商品の仕分け、配送などの作業を黙々とやりました。

2年目に相模大野の店に配属されました。十分な現場教育もないまま、副店長から頭ごなしの〝これ何時までにやっといて〟という指示を受けつつ、見よう見まねで仕事を覚える日々でした。3年目には新店の前橋店に責任者として転勤。7年目に宇都宮店を拠点にエリアマネジャーとして5、6店の利益や人事・労務、商品、売り場作りを管理することになりました。

店長に現状を聞いて今後の仕掛けをアドバイスしたり、販売スタッフの悩みも聞いて解決に当たりました。業績が悪いと東京の本部から呼び出しを食らって、釈明や対策に追われました。何年かして将来の希望について、事業部長や役員からの面接がありました。「これまで営業畑できたので商品を勉強したい」と答えたら、次の人事で東京本社の商品部のマーチャンダイザーに抜擢(ばってき)されました。

ノウハウを転職で生かす 

00年ごろ、自社ブランドで、布帛のシャツ、コート、スカート、パンツ、服飾雑貨などを担当。浅草の靴メーカーや奈良県の靴下メーカーのほか、生地屋も含めて全国各地を回りました。MDの仕事も見よう見まねで覚えました。商談で、新規口座を開設したこともありました。

当時はマルキューファッション全盛で、話題の新店を視察しては情報収集に努めました。仕入れ・売り上げ計画から投入・在庫計画、売れ筋品番の店舗間在庫移動指示計画まで作成しました。7年間、最初の会社でマーチャンダイザーをやった後、退社しました。

その後、現在の会社に入社しました。レディスアパレルからネクタイ中心の服飾雑貨へ取り扱いアイテムは変わりましたが、粗利益まで責任を持ち、消化率や在庫管理まで考えるMDの原理原則は変わりません。物流センターでの経験も生きました。

振り返ると、若いうちは自ら学ぶことが大事だと思います。教えてくれる人がいなくても、先輩や上司のやり方を見ながら手探りで学んでいけば、壁にぶつかってもいずれはできるようになります。

(繊研新聞・2018/07/13 日付から)

    関連する記事

    この記事に関連するキーワード

    話題のキーワードキーワード一覧

    月間ランキング月間アクセスランキング

    週間ランキング週間アクセスランキング