創業店をたどる② しまむら「キーワードは”とにかく人が集まりやすいところ”」

  • 2019年10月07日更新
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今では全国的に有名になった企業の、原点のお店を知っていますか? 各社の当時を知る方々に、1号店やその後の変遷(へんせん)にまつわる貴重なエピソードを語っていただきました。現在のショップと、当時の写真もぜひ見比べてみて下さい。日本のファッション業界の歩みを感じることができるはずです。5回に渡ってお送りします。

 

しまむら 「キーワードは”とにかく人が集まりやすいところ”」

15年12月10日にグループ2000店を達成したしまむらの創業の地は埼玉県小川町。1953年に島村呉服店として設立されました。同町に現在も店舗を構えますが、場所は動かしています。前社長の藤原秀次郎相談役は、「世の中が変わると立地も変わります」として、「根は張らないし、自由に動きました」。初期の店舗で閉めた店はありませんが、同じ場所で営業している店もありません。現在の小川店は3カ所目です。


写真=創業当時のしまむら(2号店の東松山店)


藤原相談役が入社したのは1970年。企業の形が整い〝会社を大きくしたい〟というオーナーに応えて藤原相談役が打ち出したのは多店舗化でしたが、「はじめから理詰めでした」と、出店コストのかかる当時の商店街ではなく「住宅街で人の集まりやすいところ」を目指しました。不動産屋は頼りにならず、自分で用地確保を進めました。


〝人が集まりやすいところ〟は以降もキーワードになります。ただ、時代とともに自転車から自動車に来店手段が変わるから立地も変わるという訳です。そしてロードサイド中心になる用地探しも「上空から見た方がいい」として自らセスナを駆るようになりました。


もともと呉服店だったしまむらが総合衣料品店になったのは小川町を襲った洪水で商品を失ったのが機。そこで東京で仕入れた商品をすぐに売り切る「低価格の高速回転」を打ち出しました。そして「店をつくりたかった。そのために何をするかを考えました」という中で、商品力を磨いたといいます。

店が少ないころから「現金払いにしており、20店くらいになった時に買い取りに切り替えました」。そうした取引条件は、競合店に対して「圧倒的な商品力」を実現しました。

しまむらは現在、都市部、商業施設への店舗展開を進めています。これも〝人が集まりやすいところ〟を求めて変わってきた姿。小川町から東松山市、そして現在のさいたま市宮原の本社も2、3年後にはさいたま新都心に移転する計画。「私は行きませんけど」と藤原さんは笑います。


写真=自動車で“集まりやすい”現在の店(南与野店)

 

 

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